
葬式が教えてくれていること
誰もが死を考えた時、明るい気持ちになることはないでしょう。
特に若い人のほとんどが、身近な人の死に直面することが少ないからです。
私は40代後半から同級生、先輩、同じ世代の知り合いが突然亡くなることが
少なくありません。その時、何を感じるのか。
亡くなった人がどう思って亡くなっていったのかを考えます。
子供が小さかったり、親より早く亡くなったりと、さぞ残念だっただろうかと、いつも考えます。

葬式というのは誰のためにやるのか?もちろん亡くなった故人を
弔うためでもありますが、もっと大事なのが送る人たちが、
その死に対し、これから何を思い、どう生きるのかを教えるためにあるのです。
そして命は限りがあって無限ではなく、誰もが必ず通る道だということを
葬式は教えているのです。
残念⋯念が残らないためにも

命とは時間であり、肉体を持つことの時間を与えられて、今生きています。
今を懸命に生きることは、悔いのない生き方でしょうが
何に懸命、命を懸けるのかです。
これは自分のミッション、使命を見つけそれに命を使うことと同じです。
それが二度目の死、存在の死が無い生き方で、自分が亡くなっても
いつまでも自分の存在を、誰かが伝え続けてくれるような何かを、
今から見つけることです。
中二病のように身の丈に合わせない、自分を強がって見せたい時期が誰でもあるそうです。
でも大人になって歳をとって知恵がついてしまい、自分の器以上のことには
手を出さなくなります。
でもこれが念が残る生き方、残念な自分にしてしまうことに、繋がるのです。
もう一度、中二病のように生きてみる⁈
「俺はこのままでは終わらない」「俺が本気出したら⋯」と
本当に中学生だったら、知恵もなく実力もないから強がりで終わってしまいますが
40代からであればどうでしょう。
これまでの経験や知恵や人脈、経済的にも中二の頃に比べたら何だって出来ます。
よくよく考えてみると、気がつかず残念な大人の生き方をしているのです。
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